大阪
北関東にとってみると大阪は遠い。ただ、親しい知り合いに大阪生まれの串焼き屋さんの娘さんがいった。あの頃、大阪には憧れもわいた。私は大阪で生まれた女、そして悲しい色屋ねをよく歌った、
関東とは全く違う世界だ。
大学医学部軽音楽部にスズヤンという大阪出身の大阪人がいた。もう全く連絡もとれない、でも彼からは大阪の雰囲気が漂っていた。阪神タイガースへの意気込みはすごかった。
学会で大阪に久しぶりに行ったが、「橋」と「川」の都市だ。「川はいくつも、この街流れ」という悲しい色やねのフレーズが浮かぶ。自分にとって、東京は自分に入り込み、血肉化している世界になった。でも大阪も好きだ。
私は大学時代、私大医学部学生と自分の生きてきた違いで、凹んでいた時代があった。夕暮れになると、突然の凹みがやってきて飲んでパチンコ屋を徘徊していた。路上で寝てたこともある。無意識の罪悪感の発動だったのだろう。
今から思えば、私の孤独で空虚な大学時代を支えていてくれた「一人の人」がいたことを思い出す。もう40年近く会っていない。きっと配偶者もいて子どももいるのだろう。
悲しい色やねを聞く度に思い出す。「さよならを、みんな、ここに捨てにくるから」
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