虐めについて

高校生もクリニックには来ている。A子は「ハブられているB子」が可哀想に思え、味方になってあげている。そして自分が「はぶり」「しかと」「いじり」の対象になったりしてる。でも、A子の存在はB子の素敵な思い出になるはずだ。A子は素敵な女性になるに違いない。

 あの時、助けてくれたのは「C先生」だったとか、「D君」だったという話しを30代や40代になった大人の患者さんからも聞くことが多い。

 尊敬する作家山川健一先生に「心の中にいる少年や少女について書きましょう」とメールをもらった。そして、(既に、このブログでも少し書いたけど)小学校の思い出を書いた30年くらい前に某新聞のコラムに書いた記事を探し出した。

 「いじめとトラウマー悲しい瞳」

 今でも心に残っているいじめの思い出があります。私が子どもの頃、隣の家に「Kちゃん」という幼なじみがいました。Kちゃんとは家に帰るとよく遊び、ママゴトの相手をしたり、互いの家で一緒に食事をしたり、プールに行ったりしていました。Kちゃんは小学校2年に進級すると特殊学級(現在の特別支援学級)に移り、その後から私たちは、ほとんど遊ばなくなりました。

 小学校4年の冬、雪の降りつもったある日、彼女が一人で校舎の壁に立たされ、5ー6人の男子児童の雪合戦の標的にされていました。そのうちに、どんとん人数が増え、10人以上の男子が彼女に向かって雪を投げるようになりました。私は友達に促され彼らと一緒に雪玉を投げていました。彼女は顔をおさえてすわり込み、そして泣きはじめました。こうした彼女の態度が、子どものサデイステイックな心に火をつけたのか、雪玉が止まることなく彼女に投げられていきました。 昼休みが終わると子ども達が教室に戻っていきます。当時の私には少し後悔の気持ちもあったでしょう。最後まで私は残っていました。Kちゃんが顔を上げて立ち上がり私を見つめていました。雪でビショ濡れの彼女の目には涙がたまり「悲しい瞳」でじっと黙ったまま私を見つめていました。彼女は何か言いたそうにしていましたが、私は逃げるようにその場から立ち去りました。

その後しばらくして、Kちゃんは家族と一緒に遠い町に引っ越していき、それきりです

 いじめが後を絶ちません。私が子どもの頃よりも、いじめは陰湿になり、深刻になり、自殺に追い込まれる子どもがいます。有識者の中には「いじめられる側にも問題がある」という意見を言う人がいます。それは間違っています。いじめる側といじめられる側を同レベルにして論じることはできないのです。

 私はKちゃんのことを1995年の大河内清輝くんのいじめ自殺の報道で思い出しました。それまで、Kちゃんとの思い出は意識にはあがっていませんでした。いじめる側の子どもにとって、いじめは、遊びの延長や、悪ふざけにしか過ぎないのでしょう。誰かをいじめた体験は大人になれば忘れられてしまいます。しかし、いじめられた体験は「一生の心の傷」としてトラウマになることがあります。

 私の外来にやってくる患者さんの中には、いじめられた経験を持っている人が少なからずいます。いじめのために不登校になっている中学生もいます。いじめられた経験が、その後の人間関係に影響し、生きることに不自由さを抱えてしまう場合だってあるのです。 

 今でも時々「Kちゃんの瞳」が心にうかびます。「あの時、私は、どうして彼女に雪玉を投げたんだろう」「私は、どうして雪玉が飛んでくる壁側に立ってあげられなかったんだろう」「Kちゃんは幸せな人生を送ってくれたのだろうか」と。

藤村邦と渡辺俊之のブログ

精神科医をやりつつ小説や新聞のコラムを書く藤村邦(渡辺俊之)のブログです。