痛みの学び

 腹壁を4センチ切って、腹筋を繋げているんだから、傷口の痛みは当然だ。ロキソニンは欠かせない。

 テレビで、ガザで傷をおった人々が写る。あの人も痛いんだろうなと思う。痛みが共感を高めることもあるのだ。ガザの人々の痛みは身体的痛みだけではない土地を奪われる痛みもある。こんなもんで私はヒーヒー言いたくない。

 私達はゲームの中で殺したりやられたりして楽しむが、ゲームにないのは「痛み」だ。痛みだけではない、人は五感を使って楽しむが、ゲームで楽しめるのは今のところ視覚と聴覚だけである。嗅覚、味覚、触覚は今のところ体験できない。この3つはリアルな世界でしか得られない。精神分析の言葉に「現実検討力」というものがある。要するにリアルを体験しサバイブしていくための力だ。大人になるというのは現実検討力をつける事だと若い精神科医や、時には患者さんにも伝えている。

 テレビでは甲子園をやっている。ベンチに入れない部員がスタンドで応援している。あの中には中学生の時にはエースで4番の子もいる。中学生の時にエースでも高校に入ると自分より上手い連中が沢山いる。そこでどういう道をとるか。エースじゃない、レギュラーになれないから辞める子もいるだろう。野球より勉強と路線変更する子ならいいが、不登校でゲームの世界じゃ現実検討は育たない。

 スタンド応援する子達は、現実検討して、自分の位置に意味づけする。先輩が頑張っているから、同級生が頑張っているから、スタンドでも○○高校野球部部員で一緒だ!。こうしてメンタルが強くなる。上には上がいると現実検討する度に喪失感を体験するが、それに負けないで道を探して歩めるかに人生はかかっている。

 現実検討→喪失体験→やり直し

 これは一生つづく。

 群馬の家の大掃除で、廃品回収を頼んで、軽トラ一杯分くらい古いものを捨てようで業者に頼んだことがある。古いソファや使わなくなった電化製品、古本などまとめておいた。体格のよい大柄な青年がやってきた。廃品の中には、息子と一緒につかった金属バットがあった。バットを手にした彼は「ダイアモンドペガサスって知ってますか」「知ってるよ」「俺、あのチームで野球してたんす」・・・なんだかその目が「俺には捨てられないっす」と言ってるように思え「ああ、それとっておくよ」と言った。彼も野球選手の時代があったのだ。でも今は廃品回収業で頑張っている。喪失体験しても「あの頃の思い出」は大切にしなきゃいけない。

藤村邦と渡辺俊之のブログ

精神科医をやりつつ小説や新聞のコラムを書く藤村邦(渡辺俊之)のブログです。