高校時代
今日、動画をみていたら1000万回近く再生されている夕張高校のPTA会長の卒業式祝辞が目に入ってきた。見ているうちに引き込まれ、最後まで見ていたら、その熱意に涙が出てきた。そして、あまり思い出したくない高校時代が蘇ってきた。
滑りどめの私立校を落ちて私は県立C高に入った。煙草吸って、麻雀やって、音楽やって本ばかり読んで、勉強など殆どしなかった。あの頃は、群馬が嫌でしかたがなかったのだ。中学時代は生徒会などやり祖父が医者をやっていたので、自分はT町で守られていたのだろう。
高校に入ると嫌な奴が何人かいた。「I」という輩は今でも顔も名前も思い出せるが、今からすれば最低な奴だ(当時)。私に向かって「臭ナベ」とか、詩を書く自分に「お前は女か」と言っていた。今、「I」は何も覚えていないだろう。
虐めというのは不公平だ。
虐めらた側は「虐め体験」は絶対に忘れないし、時には後の人生に大きな影響を与えるトラウマにもなる。しかし、気まぐれや憂さ晴らしで「虐める」奴は、やったことを覚えていない。
しかし、高校を卒業すると進路が分かれる。後は、「自力」だ。高校という狭い世界で弱者を虐めていた奴は社会という舞台で落とされる。虐められていた子は痛みを知る優しく強い子になり世界で生きていく。逆点することが多々ある。高校なんか小さな世界なんだよ。
私の外来にも高校生が来ている。
虐められている子もいるし、虐めを助ける子もいる。虐める奴はたぶん来ていない。
高校で躓いても、大学に入ったり、働きはじめたり、バイトをはじめたりすると、自分の事のように嬉しくなるのは、自分の高校時代を思い出すからだ。
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