傷跡

 リストカットする患者さんは結構いる。その心理は様々だ。今日、患者さんとリストカットの話をして思い出したことがある。私の時代の医師は医学部卒業後はストレート研修で、卒後、直、精神科医になるので、精神科しかできなくなる。つまり縫合や採血のスキルが学べないのだ。

 私の大学は当時は珍しいスーパーローテーションで、半年の精神科研修医の後は、3ヶ月づつ小児科、ER、内科、リハビリ科などで研修した。今では、初期研修が義務づけられたので基礎的な医師の手技は学べるようになった。しかし、私の年代で他学で精神科医になった先生は縫合が出来ない人も少なくない。

 小児科では未熟児病棟の点滴換えで夜中に点滴の差し替えに行ったし。内科では死期が近い、もう意識のない出稼ぎ労働者の患者に「先生、この手をみて、この手で生きていたの」というお姉さん看護師に「目の前にいるのは、高度成長を作った先輩だ」という気持ちを教えてもらった。ERでは、リストカットして縫合が必要でやってきた、精神科研修で担当していた境界例患者に外科研修の同級生が「お前の患者だったんだろ、教えてあげるからお前が縫えよ」といって下手くそに縫ったこともあった。

 そんな思い出のせいか、今日は祖父の写真に何度が目がいった。

 小学生の時に庭で遊んでいて私は下顎を切った。血がダラダラと流れ、祖父は私の顎の傷を縫合した。私はギャーギャー泣いた。祖父は一針だけ縫うと「もういいだろう」と抱合をやめた。その二日後、東京で外科医をしていた叔父が帰ってきて「縫い直さないと傷が残る」と言ったが、祖父は「かわいそうでできない」と言ってくれたのだ。

 その傷は今でも残っている。

 しかし、その傷を見る度に祖父を思い出す。いまでもそれらしい場所はわかる。

 私が縫合した境界例の子が30年経った今でも生きていてくれれば、私の下手くそな縫合跡を思い出してくれるかもしれない。生きていてほしいなと思っている。

 

藤村邦と渡辺俊之のブログ

精神科医をやりつつ小説や新聞のコラムを書く藤村邦(渡辺俊之)のブログです。