1週間は長かった
月曜の朝は横浜の老健施設に行き、群馬に戻る電車の中で中日新聞・東京新聞のコラムの原稿を書き、その日は診療の後に二人のスーパーヴィジョンを行う。火曜日は外来を終えて、夜はまたオンラインスーパーヴィジョン・・金曜日が締め切りの精神神経学会誌の特集論文、2つの修正とゲラ校正の締め切る迫ってきているが水曜日は疲れが出て寝てしまう。木曜日になりやっと論文にとりかかる。金曜日はH病院に勤務しつつ論文書き、夜8時からはK大の精神科医達のオンラインスーパーヴィジョンの後に精神神経学会の論文原稿でメール添付で送った。
11時にテレビ観ながら、患者様から頂いたウィスキーをハイボールで飲む、至福のひととき。締め切りで、自分の博士論文提出の時を思い出していた。
締め切り日、郵送では届かないので印刷所に持ち込んだ記憶が蘇る。今の時代、随分と楽になったものである。大学教員時代、開業するとアカデミズム(学会活動)から遠ざかると思っていたが、「逆」で、新聞社から依頼が来たり、学会のシンポジウムなどで呼ばれることが増えた気がする。臨床と執筆、両方とも好きなのでうまくまわっているし、忙しくても、大学教員時代よりもストレスは少ない。管理業務は組織としての雑用が減ったからだ。ADHD系の私はやはり事務仕事は苦手である。執筆は過集中できる。
でも、大学時代が懐かしく思うこともある。今日の診療の後に部屋の片付けをしていたら、モザンビークにまで行った健大の教え子A子の絵はがきが出てきた。A子と、その友だちBは私ががんで入院していた大学病院まで見舞いにきてくれた。A子はもう「お母さん」をやっている。B子は、境界例みたいなところがあった。東北に帰った時に震災が起こって、「怖いよ先生」とメールが来て、何度も交流した。震災体験がB子を強くしたのか、今も元気で働いていると聞く。出会いが人を作っていく。私も多くの人と出会い、それが今の自分を作っている。その出会いというには運やタイミングがあり、結局、ヘッセのヘルメティックサークルのように約束された人が訪れるのだ。今、神奈川にもどる高崎線の中、ハイボール飲み、まぐろのたたきおにぎりを食べ、音楽を聴き、この文を書いている。熊谷だ。横文の後輩、小説家島口大樹の故郷である。
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