内視鏡終わる
金曜日に川越の病院に行き、内視鏡を受けた。予想していたがポリープが3つあった。全て小さいものだが、異形成(がん化可能性)ありそうなのが一つあった。写真を見たが嫌な顔をしていた。全部とってもらった。
担当医の田中医師に、また来年も来ます言った。田中は、「また1年、患者さんも喜びますよ」と笑っていた。
医者とは何か考えている。私も大学時代に「教授」という言葉に引きよせられいた。医学部でなくても「教授」にはなりたかった頃もあった。その結果、高崎健康福祉大学と東海大学大学院の福祉系教授にまではいった。もちろん教え子の活躍は嬉しい。でも、開業してみて、今は「臨床」が自分は好きなのだと再認識している。
私の主治医の田中は、おそらく腕も人格も外観も(笑)良く、母校の外科教授になると信じていた。しかし、くだらない白い巨塔のヤクザ構想で、潰され、母校を去り、東京や神奈川という「シマ」で外科医がやれなくなったらしく、川越の病院にいる。彼の人格や腕を知り、埼玉の外科専門医希望者が集まってきているらしい。
専門誌の精神療法委員会の特集論文がこき下ろされ、エッセイ調すぎると査読コメントがあって凹んでいたし、母の命日反応(2月12日)もあり、抑うつ的な最近だが、昨日の文学仲間の合評会で支えられた。私は「高村幸介」という精神科医を主人公にした短編連作をヨコハマ文芸に連載しているが、春頃に出すものを事前に合評に出した。早稲田文学部の楜沢先生や、若い人から、称賛された。また、高いレベルのコメントももらった。バッカスの導き(文芸社、Amazon販売)は、読んでくれた人からは「高村は渡辺先生ですね」と言われる。「そこまでアルコール依存じゃないよ」と言い訳する。
話しは変わるが「苦悩を知り、乗り越えた人」は私は好きだ。
患者さんでも歌手でも。
昔からシンディーローパーは好きだったが、苦労人だった。凹んで死にたくなっている人、死んだら人生が止まります。
死にたいと思っている人。生きていないとだめです・私達が生きているだけで、傍の草木は二酸化炭素で生きていきます。私の診察室にあるアデカヤシは、20年、私と一緒にいます。東海大→健大→東海大→クリニック。私と一緒に生きています。
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