小寺記念精神分析財団での講義
外来を終えて、満席の新幹線に乗り四谷三丁目にある精神分析財団での講義に向かった。東京駅は満員電車の車中のような混み具合で、歩くのにも時間がかかる。ついたのは開始10分前くらいであった。中村伸一先生が司会と討論者で3時間、オンライン参加者をいれて20人くらいが参加した。私の専門である精神分析的・対象関係論的家族療法・夫婦療法を話した。もう何年もやっているので、すこしヴァージョンアップした。J.Weissが定式化した無意識にある二つの罪悪感であるセパレーションギルトとサバイバーギルト。その日常生活への作用を日本語で説明しているのは私だけであろう。
3歳前に植え付けられる二つのギルトは、無意識にあるので「意識化」できない。分離・個体化という0歳から2歳くらいの間の養育者との関係で生まれ、万人にそれは多かれ少なかれ、強弱もあれど、存在する。
セパレーション・ギルトは、自分が母から離れる(自立する、歩行する)と母が傷つく、弱まる、悲しむという乳児期の幻想であり、サバイバーギルトは自分が食べてしまうと母が飢えるという幻想である。
無意識にある二つの罪悪感は、思春期以後(第二の分離・個体化期)になって、症状、行動、突然の気分変調などで、心に再燃してくる。
野口英世、安岡章太郎の海辺の光景、砂の器、世界の中心で愛を叫ぶなどを使い説明した。
野口英世は医師になり渡米し母シカから15年以上、ほとんど連絡もとらずにいた。これはセパレーションギルトの防衛であるカットオフ(感情を刺激する肉親には一切関わらない)である。関わると、処理できない感情がわきあがるからだ。しかし、文字が読めないはずであった母親からのひらがなだけの手紙が届き、野口は覚醒する。母は手紙を書くために文字を学んだのだ。アメリカにいる周りの研究者は「故郷に帰ってきなよ」と野口を説得、 野口は凱旋帰国する。
野口シカが亡くなった大正7年にアフリカ行きを決意、周囲の反対を押し切り感染症の世界に身を置き昭和3年に死去。サバイバーギルトが動いたのである。中村伸一先生が「死にたかったのかもしれない」(無意識では)とポツリと言った。
講義をしながら辛い時代を思い出していた。私も浪人・大学カットオフ時代があったからだ。夕方になると気分の凹みがやってきて、それを解消するために、酒を飲みパチンコをする毎日、結局、私は留年した。あの原因は今ではわかる。無意識の罪悪感の突き上げが生じていたのだ。そんなことも思い出し、語りつつ、参加者と理解を共有した今年最後の仕事日であった。自分の感心が向く学問や理論というのは、自分の出自と無関係ではいられないのである。
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