がん
がんは二人に一人が罹患する。
私も7年前に大腸がんと肝臓転移(ステージ4)となりで母校で治療していた。
肝臓まで届くカテーテルを入れて、副作用で失神も起きたりしたが、がんは消えた。私の愛犬のダンが身代わりになってくれたのだ。
がんになって考えたことは人生である。
50代後半、大学教授で定年まで全うしても65歳、10年近く、管理業務や上からの圧力に耐える必要があるのことに人生の意味があるのかと思った。考えているうちに、臨床をやりたい自分を再確認した。大学教員時代は患者をあまり診れなかった。
研究業績などを尊重し、上に良い顔を見せて媚びる世界から離れたいと思った。そして「やりたいこと、やり残したこと」を考え、群馬の精神医療と後輩の育成に貢献しようと思ったのである。継承者のいなくなった渡辺医院の名前で開院した。私の祖父と叔父の医院だ。
毎日が忙しいのだが、大学教授時代より充実している。疲れの質が違う。心地良い疲れだ。
私の自由時間は音楽ビデオや映画である。今夜は坂本龍一を聞いていた。
坂本龍一は発見が遅れてしまった直腸がんであった。大腸がんは多い。男性ではトップである。世話になった人、長く通っていった患者さん、同僚は大腸がんで亡くなっていった。
復活して診療できている自分は幸せに思う。ステージ4と言われた時には、かなり凹んだ。うつ状態だったのだ思う。生きている意味が見いだせない気がしたし、全てを捨て去り、どこかに行きたいと思うこともあった。しかし何かのエッセイに、「私達が呼吸をしているだけで二酸化炭素が出て植物は育つ。だから、生きているだけ役立つんです」と書いてあった。
精神科医をやっていると、「死にたい・・」という言葉を毎日のように聞く、現実が辛くて、自分をこの世から消したい。でも、消しさりたい自己は「娘」「息子」「配偶者」「親」「○○会社の自分」だと思う。 しかし「人」として、いや「哺乳類」として生きて入れば、植物を助けているのです。私の診察室にあるアレカヤシは、私と一緒に20年以上、私の呼気をすって生きている。東海大医学部講師→健大教授→東海大健康学部教授→渡辺医院と、ずっと枯れることなく生きている。私が居なくなったらアレカヤシも枯れるような気がする。
坂本龍一の他界直前の演奏は、「おれの分を生きろ」と言っている気がする。自ら命を捨てることはない。生きたかった人(またはペット)のために息をはき続けましょう。
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