伊達一行さん

 大学生の時に読んで感動した一冊に伊達一行著「沙耶のいる透視図」がある。伊達さんの作品は全て持っている(た)。作品の底流に流れる孤独感や虚無感が、当時の私に共振したのだと思う。すばる文学賞を受賞して、その後芥川賞候補になるが結局は受賞できなかった。ビニ本(ビニールで中身が見れない過激なヌード雑誌)の編集者達と沙耶という女性をめぐる物語だ。あとから、あの存在感の希薄さが境界例の空虚なのかと想像したりした。

 露骨な性描写の方が映画化される時に話題になったが、私は、そこに登場する人物の心理的背景に思いを馳せていた。都会で生きる主人公の内面にある、故郷と都会が交叉するようでてくる筆致に魅せられたのだ。作者の伊達一行は秋田県生まれである。

 気に入った場所は限りなくあるが、以下は「沙耶のいる透視図」から

「ときに、母はいくら待っても帰らないように思うことがあった。真夜中のきわだった沈黙の中で、時間が粘液のように軀をつつみ、僕 は夜の闇に紛れ込んで身動きできなくなった。幾度か母の帰宅が朝になることがあった。そんな 夜、僕の眠りは浅かった。 僕は両手で桃をもてあそびながら黒い海を見ていた。暑熱に脹らんだ夏の空気は、岩に砕ける 波の音の角を削り、やんわり単調な響きとなって耳を打つ。その潮騒の隙問をぬって、静寂が細 い透明な電波のように夜の海の極みから僕の頭の空洞を充たした。頭の中にもう一つの暗い海が あるようだつた 」

 伊達一行さんは1998年以後、何も書かなくなり、行方もわからなくなった。

 ところが横浜文学学校でお世話になっている高橋至先生は「すばる」の編集部にいて伊達一行さんへの連絡方法を教えてくれた。私はファンレターを書いたが返事はなかった。でも生きていてくれてよかったと思う。あれほどの感性のある人だ、いろんなことがあったのだと思う。

 映画は、本作から変更されていて、好きではないが、高木沙耶はこれで一躍有名になった。


藤村邦と渡辺俊之のブログ

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