ドキュメンタリー 中村哲が遺したもの

 アフガニスタンに渡り医師でありながら用水路をつくった中村哲先生のドキュメンタリーをアマゾンプライムで見ていた。「スローガンよりも水路を掘ることを大切にした人」だ。私は不勉強なことに、凶弾に倒れてから中村哲先生のことを知った。凄い人だし謙虚の本当の医師だ。「日本に帰っても自分の専門性を生かせる場所がない、自分を必要としているところに行く」とアフガンに渡ったという。

「必要とされている感覚」は私達にとって大切だ。患者さんには「自分は誰からも必要とされていない、生きているだけで迷惑だ」と話す人もいる。そんなこと言われた時に、私は返す言葉に迷う。ふと観葉植物が目に入り、「あなたが吐き出す二酸化炭素が、この植物の栄養になっている」と葉をさして助言する。まったく外れた助言のこともある。

 そんなことしか言えない私にも「必要とされている感覚」は大切だ。開業は忙しいが、大学教員をやっていた時代よりも充実しているのは、患者さんが必要としてくれるからだと思う。

 恩師の追悼論文を学会誌に書かねばいけないのだが全く筆が進まない。自分の中で別れができていないのだと思う。しかし無意識の罪悪感への内省を促してくれたのは先生だったし、そのことを思い出しているうちに何か書けるような気がしてきた。

 人はなぜ「くっつきたく」なるか。それは赤ちゃんの頃に母に抱っこされて「安心」「安全」をもらえた記憶が体感として残っているからだ。

 3歳前の記憶は言語記憶や映像記憶では残らないが体感として記憶に残っている。だから私達は人の温もりを求める。しかし、愛着が上手に提供されない状態、つまり母の機嫌で「抱っこ」したり「放置」されたりすると、安心感や対象恒常性が育たない。それが愛着障害となり、パーソナリティ形成に影響する。

 研修医時代、境界例のA子から、私はオールバッド状態にされてしまい、病棟での精神療法の時間を無視されるようになった。しかし恩師は「患者が来なくても約束した時間は面接室にいなさい」と言われて45分間、誰もこない部屋に座っていた。ドアをちょっと開けて「またいる」と外で笑っているのが聞こえてた。毎週木曜日(曜日まで覚えている)の誰もこない待ちぼうけを、一ヶ月つづけたが、結局、患者は来なかった。

 その10年後にプレゼントがあった。

 大学病院で当直をしていると「死にたい」と深夜に電話が入った。当時は精神科当直が電話対応もしていたのだが、なんと電話の相手はA子だった。「ああ生きていたんだ」という喜びと一緒に当時の思い出が蘇った。A子は「先生は埴輪みたいに座って待ってた」と覚えていたのだ。この体験を恩師に言うと「ワタナベは埴輪として彼女の心に生きているんだよ、埴輪になったのはすごいことんだよ、ははは」と冗談とも解釈ともとれることを言ってくれた。

 なんで?話が中村哲先生の話題からづれた。「あ・・そうだ!!」

 「中村医師が好かれたのは何故ですか」という質問に対して「変わらない安心感」と言った同僚がいたからだ。今夜は良いドキュメンタリーを見れた。

 

 

 

藤村邦と渡辺俊之のブログ

精神科医をやりつつ小説や新聞のコラムを書く藤村邦(渡辺俊之)のブログです。