転移

 精神分析の用語だが、人間関係には転移と減少が生ずる。幼い頃から現在まで自分に関わりをもった過去の人物へ向けた「感情」「反応」「態度」が、今、関わりを待つ人に生ずる現象である。父から身体的虐待と大声で怒られてきた人が、会社の上司から怒られ不安発作が出ることもある。逆に、父からのうけた愛情を上司に対して感じる場合もある。精神科医で精神療法的に関わっていると転移が生じてくる。

 専門書には書いたが、大学病院時代、夫がなくなり、息子がなくなり一人になってしまった高齢のAさんが外来に来ていた。たった5分くらい話をして眠り薬を出していただけだ。

 半日で50人をみる外来。Aさんはバスを二つのついで山間部から町まで降りてくる。一ヶ月に一回の外来、眠り薬がなくて眠れるようになったので、私はAさんに「よかったですね、これで外来は終わりにしましょう」と言った。喜ぶと思ったがAさんの反応は違っていた。悲しい顔になり、俯いて、涙を流して「もう来てはいけないんですか」と言ったのだ。「はっ」と思った。私はその時に始めて知った。Aさんは、私に亡くなった「息子」を重ねていたのだ。その後も、毎月来てもらうようにした。やがて、地域にデイケアなどに通い、3ヶ月に一回になり、そして外来は終わった。私の中にも「母に向けるような感情」がわいて、最後は自分の方が淋しくなっていた。これを逆転移という。

 息子や孫のような子には逆転移が向くし、高齢者を連れてきてくれる施設職員に不思議な親近感を感じて、内省したら幼なじみに似ていたとか・・いろいろとこちらも感じる。

 がん患者さんに対しては、我が身のような気持ちになる。

 話しは変わるが、 解体される実家に行き写真をとってきた。幼い頃に上った松の木、祖父が亡くなった居間、サンダーバードのプラモデルを作ったちゃぶ台などなど。

 小学生の時に私は塀から落ちて顎を切った。祖父が縫合したが「可哀想だ、もう縫えない」と一針で辞めた。東京から来ていた叔父は、傷跡が残るから縫い直そうといったが、祖父は「もう、いい」と、泣きじゃくる私が可哀想で縫わなかった。その時の顎の傷は半世紀たったいまで残っている。その傷は祖父を思い出させてくれる。

 故郷に気持ちが向いているときに、中学生の同級生から新年会の誘いが入った。「渡辺は俺たちのヒーローだからな」と、バッカスの導きの「忘れていたこと」で使ったような言葉がマジで出てきた(失笑)。そんなこと言ったって、中学の時は暗い時代だったんだけどね。そんなに目立ってないだろ。

 何しろ、中学生の卒業アルバムに書いた言葉は「孤独の旅路」なんだし。

藤村邦と渡辺俊之のブログ

精神科医をやりつつ小説や新聞のコラムを書く藤村邦(渡辺俊之)のブログです。