パレスチナとイスラエル
私など平和呆けしている日本にいるおっさんにとっては、イスラエルとパレスチナとの葛藤や紛争は遠い世界の話であった。ところが7月に国際カンファレンスで、イスラエル人によるパレスチナ人家族への支援をしている女性セラピストと話してから、イスラエルとパレスチナは近い存在になった(ブログに書いてます)。メールアドレスももらっているが、この状況で平和な日本から陳腐な「心配メール」をしても失礼だと思えて躊躇している。
紛争や戦争を生むのは、宗教、主義、人種、国家など、ホモサピエンスとしての「人間」にあとからくっついてきたアイデンティティである。
こういう時に、何故、私達は「人」に戻れないのだろうか。テレビに映る攻撃で亡くなった遺体、傷ついた子ども達を見ると「落ち込む」。
ロシアのウクライナ侵略で落ち込んだが、あの時は、コロナ感染に重なったからだと思っていた。しかし、この数日の気分の落ち込みは、私の中にある「人」の部分が反応しているのだと思う。
以前に書いたブログにはイスラエルのアーチストを載せたけど、二つの世界を繋げたい人は大勢いる。
戦いではなく「一緒」に生きていくべきなのに、私達の理性は何をやっているんだ。
パレスチナとイスラエル、ウクライナとロシアl、障害者と健常者(こういう括りは嫌いだが)、患者と医者(これも嫌いだ、がんサバイバーの私は患者でもある)、こういう下位分類の上にあるのは「人」なのだ。
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