研修医時代の思い出

 今年は日本精神神経学会専門医・指導医と日本家族療法学会認定ファミリーセラピストと認定スーパーアイザーの更新がある。日本家族療法学会の方は、レポートを書き、教えている先生からの確かに指導を受けましたという証明をもらい9月末に出した。精神神経学会は、オンデマンド配信の研修医ビデオを3つ見て試験がある。日々。若い頃を思い出していた。

 私が研修医だった時、他の大学の多くはストレート研修、つまり医学部を卒業して精神科に入れば精神科だけ、内科に入れば内科だけという研修だったが、私の卒業した大学は、今の研修システムの先駆けで精神科医になる前に4つ以上の他の科を回らねばいけなかった。私の年代でストレート研修で育った精神科医は体の処置が殆どできないと思う。

 私は内科、小児科、救命センター、リハビリテーション科で研修したが、その経験が案外、開業で役立っている。本人はメンタルの問題と思ってやってきても、体の問題があることもある。私が開業する時に、ある先生が「精神科医も医者なのだからと、聴診器を贈ってくれた」。ほどんど使うことはないが、診察室には置いてある。

 私は研修医時代から境界性パーソナリティ障害の治療研修をしていたが、救命センターで研修していた時、精神科研修時代に関わっていた患者がリストカットでやってきた。同級生の外科医が「お前が縫えよ」と言って、同級生に教わりなが縫った。「先生、ありがとう」といった患者はその後、リストカットは減った。私は、「切れば先生が縫ってくれる」と思い、頻回にやってくるのを心配したが、そんなことはなかった。腕の傷を縫うことは心の傷を縫うことに繋がったのかもしれない。

 どういうわけか、開業しても境界性パーソナリティ障害の患者がやってくる。結局、私は、あの人達のことが嫌いではないのだろう。

 だいたい大学時代、研修医時代に聞いていたのは尾崎豊、読んでいたのは太宰治と境界例と思われる人、オンパレードだ。

 「僕が僕であるために戦い続けなきゃならない」

 尾崎が死んだ時に、自分がどこに居て何をしていたかは今でも鮮明に思い出す。


藤村邦と渡辺俊之のブログ

精神科医をやりつつ小説や新聞のコラムを書く藤村邦(渡辺俊之)のブログです。