鹿沢国民休暇村
私と弟、母と祖母は毎年夏になると一泊だけの温泉旅行に行った。
小学5年生の時に行ったのは嬬恋にある鹿沢温泉のある国民休暇村である。たぶん自分の思春期が近づいており、木々の匂いや景色に敏感になっていた時代だ、早朝、4人で歩いた高原の景色のことは今でも思い出す。それと、なによりの思い出は、それまで温泉に行くと母と私と弟で女湯に入っていたのだが、この歳から「もう大きいから二人で男湯に入りな」と言われたことだ。この時、私は淋しかった。多分、私達に父親がいれば「男湯」に、もっと幼い頃から入れていたのだろう。私と弟の小学生二人で男湯に入った。
いまでも、温泉地の男湯で若い父親と男児が入ってくると、微笑ましく思う。ときどき女児と一緒に男湯に入る若い父親などをみると「母親は具合がわるいなのかな」とか「シングルファザーなのかなあ」と空想してしまう。
自立、思春期の自立のテーマである分離・個体化の淋しさを体験した。開業してから中学生や高校生の診療もするようになった。
分離・個体化という、随分前に勉強したマーガレット・マーラーの提唱した理論が、彼らや親との語りの中で実感としてわかるようになった。
高校時代に、躓いて学校に行けなくなった子が元気に大学にいったり、不登校だった子がバイトを始めると嬉しいものだ。
親から自立(分離)するためには、個体化(大人になり、バイトをして、家族とは違う価値観を学び、恋愛したり、遊んだりする新しい自分になる)ことである。
親も本人も淋しく不安だが、それを乗り越えることに成長がある。
私は、またいつか鹿沢国民休暇村を訪ね、そして、少し淋しい時代を思い出し、新作の小説でも書きたいと思っている。
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