思いやりの思い出

 精神療法の世界にはメンタライジングという言葉がある。師匠の狩野力八郎が生前最後の時まで普及に努めていた概念だ。

 私はもの凄く単純化して「思いやりの能力」と伝えている。ときどき仲間の書籍や論文など読んでいると思い出すのは、母のメンタライジングだ。

 故郷の夏祭り、私が小学低学年の頃だった。

 神社の祭りに並ぶ露店の中に、焼きともろこし屋が出ていた。板の上に焼きトウモロコシが沢山積まれていた。誰も買ってくれない。

 他の店は大勢の人がいるのに。お爺さんのその店には誰もいない。私は、なんだか淋しく、かわいそうな気持ちがして立ち止まった。足の悪い母は、私がお爺さんに向けた視線と行動から、お爺さんの気持ち、私の気持ちをメンタライジングしてくれたのだろう。

 母は私と母と弟のために3つの焼きトウモロコシを買ってくれた。

 この体験は、ときどき思い出す。

 メンタライジングと言う言葉など、ない時代から、私達は「思いやりの能力」を活用している。たぶん、私には母からもらったメンタライジング能力があるのだと思う。もう、あの店のお爺さんも母もいない。でも、思い出は残り、そして伝承されていく。

藤村邦と渡辺俊之のブログ

精神科医をやりつつ小説や新聞のコラムを書く藤村邦(渡辺俊之)のブログです。