新宿
東京といえば新宿だ。
浪人して通ったのが代々木ゼミナール、都内外の優秀な予備校生と友人になり、通ったのは新宿ディスコ(クラブのような場所)だった。
東海大学に入ったが、私大医学生とは馴染めずに第2の故郷に戻るように小田急線で新宿まで出ていた。ゲームセンターに行ったりするだけだが、そこには「温もり」があった。トーヨコに集まる孤独な子の気持ちもわからなくはないが、今は危ない。すぐに薬、男に引き込まれる。医学部を卒業して研修医になり、金が入るようになってから行くようになったのが「岐阜屋」だ。そして信ちゃんと懇意になった。
そして30年近く通い、信ちゃんは亡くなった。墓参りには時々行く。一歳上の兄貴のような存在だった。その内容は全て「バッカスの導き、藤村邦」に文学的に昇華している。
でも、いまでも思い出す。もう使われなくなった、信ちゃんの電話番号と最後にやりとりしたショートメールは残してある。
若い時代は新宿を飲みながら徘徊したものだ。言えないような場所にも行ったし、職務質問で「君は学生か?」と聞かれたこともある。
今になって思うのだが、精神科医をやりながら、新宿時代の経験は、患者さんとの「接触面」に生きていると思う。
来月の精神神経学会誌には私の「接触面」論文が掲載されるが、大学教員からも離れ一開業医として、その臨床を評価してくれるようになった学会に変化を感じた。
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