医者も悲しいのだ

 私が開院して間もない頃にやってきて、がんが発見され都内のがんセンターを紹介したりして治療していた20代の患者さんが亡くなった。長嶋さんと同じ日であった。

 私も大腸がんサバイバーなので、がん患者の気持ちには近づけると思っている、というか、勝手に思い入れてしまう。

 開業してから何人も先立っていった。その度に、サバイバーギルトなのだろう、数日凹んで酒量が増えたりもする。酔いながら、自分はもう充分に生きたから命をあげたいとも思う。

 15年前、非常勤で行っていた病院での末期がん患者との出会いと別れは「アフターグロー」という小説に昇華した。それは文学賞を頂いたが、完全なる「喪の仕事」であると振り返る。

 今、当時の事例を専門誌の特集論文に書いている。整理して他の精神科医に伝えようと思うことがある。それは「接触面」を意識することだ。

 病院での医師と患者の接触面は「医師」と「患者」である。ゴルディエという緩和ケア医は、最後になったら、そうした役割は、」もう無用でいらないと話す。もう「人」と「人」でいいのだ。私はそれを15年前に学んだ。白衣を脱いでほしいという言葉・・・役割を外してほしい。

 これは今でも外来で活用している。患者さんとは、男トーク、シングルマザーの夫のようなトーク、一人暮らしの高齢者の息子・・、時に患者さんと「先生と話すと楽しいんですが、こんな会話でいんですか」と突っ込みが入ることもある。

 精神分析では転移と逆転移だが、あまり固くならずに治療できるようになったのは歳とったからだ。医者っていうのは「人」を出してよいと思う。過去、家族、趣味など。昔、大学教員の時に講義で使っていたタイの動画は泣ける。

藤村邦と渡辺俊之のブログ

精神科医をやりつつ小説や新聞のコラムを書く藤村邦(渡辺俊之)のブログです。