犬への罪悪感

一回目の罪悪感

 小学1年の時だ。開業医をやっている祖父の知人(どこかの先生)が、孫二人、親父もいないのは淋しいだろうと、我が家に犬をくれた。何の犬種かわからなかったが、当時調べて、コッカースパニエルかスコッチテリアだと知った。名前はクロとかチビとかポチとか、適当に呼んでいた。

 最初は散歩に連れていったが、私も弟も犬を放置するようになってしまい、長い鎖をつけたまま、洗ったりもしないため泥だらけの野良犬のようになっていった。祖父や母からは怒られたが、私と弟の関心はプラモデルか何かに移っていった。食べ物も食事の残飯で卵かけごはんをあげると喜んだ思い出はある。祖父が作った犬小屋、屋根はトタンで平たいような小さな小屋に住んでいた。3年くらい飼った時、親戚の知人が「これは良い犬だ、もらいたい」というので、クロとの別れがきたが、別に悲しくもなかった。

 その一年後、クロが雌犬(雄か雌かもわからなかったのだ)で、立派に子犬を産み、綺麗になったと聞いた。なんとも言えない気持ち、おそらく最初の犬への罪悪感であろう。でも良かったと思った。

二回目の罪悪感

 研修医時代、一人暮らしをする足の悪い母の家に、子犬の入った段ボールが捨てられていた。母は飼い始めたが散歩にはいけない。「お前が毎月帰ってくればよいだろ」と言ったので、私は月に週末に二回くらい夜に帰郷して、コロと名付けた犬を夜の小学校でリードを外して、自由に走らせた。ブランコに座る私のところに戻ってきたコロにソーセージをあげると、ズボンに飛びつき喜んだ。私のズボン泥だらけになったが、なんだか嬉しかった。そんなことを2年くらいつづけた。しかし仕事が忙しくなり、夜の散歩に連れていけなくなった。

 あの時は、幻覚だと思った。私が故郷に帰った時のこと。リードをひきづりながら、コロのような犬が高崎駅前の車道を走り去っていくのを見たのである。

 家に帰ると、母親は「コロが逃げ出したんさ」と話したので、幻覚ではなかったのだ。

 神奈川に戻った数日後、母親が電話をしてきて「コロが戻ってきた、でも二日後に亡くなったよ」と話した。

 また、犬への罪悪感が増えた。

三回目の罪悪感

 もうあちこちに書いた。私のがんの転移を引き受けて、身代わりに亡くなったパグの「ダン」のことだ。7年前の9月頃だったと思う。ダンの具合が悪くなりはじめ、私の抗がん剤治療は終わった。そして、やってきた正月にダン亡くなり、私のがんは消えた。



藤村邦と渡辺俊之のブログ

精神科医をやりつつ小説や新聞のコラムを書く藤村邦(渡辺俊之)のブログです。