対象喪失体験

 大切な対象を失うことを対象喪失と呼ぶ。人によってその価値は事ある。対象も異なる。自分の命よりも「国のため」という時代もあったし、今でもそういう国もある。武士道では恥を受けるの方が命を失うより重いこともある。こうした自分の中にある「大切なもの」を失う場合もあれば、現実に近くにいる対象、家族、友人、ペット、恋人などを失うこともある。

 対象喪失は辛いが人間を成長させると思っている。医者というの過酷な仕事だ。患者が聞きたくなかった「診断」を伝えることもある。私には「診断告知」をぼかしていた頃もあった。患者さんが、対象喪失して失望することを恐れたのだ。しかし、それはこちら側の「あいまいにしておきたい気持ち」、「治療関係が壊れることへの恐れ」があったと理解している。

 開業してからは、わりと診断名を伝えている。可能性がある場合は可能性と伝えている。

 はっきり言う嫌な医者に見える患者さんもいるであろうが、精神疾患で死ぬわけではない。自分の発達特性、性格特性、疾患特性を理解して、未来を生きてほしいと思うのだ。

 昨日の夜の番組で、「失恋」するカップルのショートストーリーに会う曲を昭和と平成・令和で選択するというのがあった。私もいろんなものを失ってきた。大学時代を象徴する曲がいとしのエリーであり、あの時代、ベストテンで何周もランキング入りしていた。カラオケでもよく歌った。私が学生時代・研修医時代はバブルと重なる。ジャパンアズナンバーワンなんて言葉もあった。ニューヨークのマジソンスケアガーデンの大看板はカップヌードル、日本製品が沢山売られていた。温暖化も深刻ではなかったし、未来があった気がする。

 医者になって30年以上たっているが、この30年の変化のスピードはすさまじい気がする。私はそれを体感してきた。ワープロからパソコン、ポケベル→形態→スマホ、一応乗り遅れまいと先端技術をいれてきた。

 Evernoteという情報管理ソフトを10年以上使っていたが、多くの若い研究者がNotionに乗り換えている。今、暇をみてはデータ移行しているが、昔かいたメモだの原稿だの、小説ネタだの、写真だのが発掘されてくるのが面白い。へー、あの頃はこんなこと考えていたのかとか。というわけで「リソース」や「ネタ」は自分の持っている資料に全てあると思う今日である。

 なんだか喪失から話がずれた。でもいとしのエリーはいい。

藤村邦と渡辺俊之のブログ

精神科医をやりつつ小説や新聞のコラムを書く藤村邦(渡辺俊之)のブログです。