鳥の声を聞く家
私はいま、東京と群馬の某所を行き来する二拠点生活を送っている。
群馬の家は、子どもたちがまだ小さかった頃、月に二回ほど訪れてはバーベキューをしたり、夏の夜を過ごしたりした、別荘のような場所だった。だが子どもたちはもう成人し、それぞれの生活を持っている。今では、この家を使うのはほとんど私一人になった。
窓の外には、小高い山の緑が見える。その向こうには、西上州の山並みが重なっている。金曜日の朝から昼にかけて少し時間が取れると、私はここで書き物をする。外から聞こえてくる鳥の声や、木々の揺れる音に耳を澄ませながら、新聞のコラムを書き上げる。今は依頼原稿もないので、小説でも書こうかと思うのだが、なかなかテーマが決まらない。
玄関には、燕が巣を作っている。私はときどき、こっそり様子を見に行く。あまり近づくと警戒されるからだ。二年前にできた巣には、去年は燕の姿がなかった。今年になって、同じ燕が戻ってきたのか、それとも別の燕が使っているのかはわからない。ただ、玄関の上に小さな命の気配があるだけで、この家は少し息を吹き返したように感じられる。
私は昔から鳥が好きだった。
小学生の頃、祖父の部屋に一羽の鳥が迷い込んできたことがある。雀ではない。燕でもない。私は図鑑を広げて調べたが、名前はわからなかった。祖父はその鳥を鳥かごに入れ、天井から吊るしてくれた。私は練り餌を作り、毎日世話をした。
春になると、その鳥は鳴き始めた。
その声を聞いて、私たちはようやく気づいた。うぐいすだったのだ。
夏が来る前に、林へ返してやることになった。祖父と私と弟、そして母と一緒に、敷島公園へ行った。鳥かごの扉を開けると、鶯は一瞬ためらうように止まり、それから緑の奥へ飛んでいった。
その姿を、今でもときどき思い出す。
群馬の家で鳥の声を聞いていると、玄関の燕も、あの日の鶯も、すべて同じ時間の中にいるような気がする。
人がいなくなった家にも、鳥は来る。
そして鳥の声は、忘れていた季節を静かに連れてくる。
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