看護師さんの思い出
研修医2年目だったと思う。
神経内科で働いていた時、東北から出稼ぎで来ていた50代くらいの男性が脳出血で意識不明で入院してきた。腎不全だったのだが放置していて血圧が上がって出血したのだ。当時、個室に透析機器を運び込み透析を行った。研修医の私は個室に、ずっといて血圧だの点滴の管理だった。急変した時に指導医を呼ぶのだ。付き添いの家族もいなかったからだ。正直、退屈だし、面倒くさかった。ベッドサイドの通常は家族が座るソファに座り、こっそり文庫本読んだりしてた。担当看護師のAさんは私より3−4歳くら年上だったと思う。時々、部屋にやってくる看護師と一緒に処置をするのである。
「先生!見てよ、この手」
男の無骨な手は、もう動かない。
「……」
「この手で一人で生きてきたんだね」と言って、Aさんは手をいつまでも摩っている。
その時、私の認知が変わった。
意識もなく死にかけて処置するだけのBodyが、「一人の人間、歴史と人生があった人」として立ち上がってきたのである。この経験は学会で話したこともあるが、私の精神科医としての在り方の原点になっていると、今でも思う。
なんだか私はAさんが「姉」のように思え、横たわる男性が日本の高度成長を支えてきたんだと敬意すら感じた。
結局、男性は亡くなった。
神奈川で火葬を終え遺骨を持った二人の姉が病棟にやってきた。
「最後の最後にお世話になりました」と頭を下げ、東北に帰っていった。
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